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12月14日と言えば、赤穂浪士の討ち入りの日。浪士は何故、半蔵門付近に潜伏していたのか?

 元禄十五年(1702年)の今日(旧暦1月30日)、かの有名な赤穂浪士の討ち入りがあった。この事件に関して、この前読んだ『日本史の謎は「地形」で解ける』(竹村公太郎著、PHP研究所刊)と言う本に面白いことが書いてあった。赤穂浪士の有力メンバーの幾人かが、半蔵門周辺に潜伏していたとされるのだが、これがおかしいというのである。何故おかしいのかと言うと、この半蔵門は当時も今も土手でつながっていた(大手門以下、他の門は木製の橋で堀を渡る。戦時には橋は破却される)江戸城の本当の表門(大手門は大名や幕臣が登城するための門)であり、周囲には御三家の上屋敷や旗本(将軍の親衛隊)の屋敷が密集する最重要警備区域であり、不穏分子が潜伏出来る場所ではないのだという。ここに赤穂浪士が潜伏するというのは、警視庁の一室に過激派がアジトを構えるようなものだという。と、言う事は幕府は赤穂浪士の動きを完全に黙認どころかなかば匿っていたようなものだというのだ。なぜ、そんなことを?背景には徳川氏がまだ三河の松平氏だったころからの、吉良氏との確執があるという。詳しいことは、『日本士の謎は「地形」で解ける』をご覧ください。大変興味深い本です。

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