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今日は何の日?「黄海海戦(日清戦争)」明治27年9月17日

 今から121年前の今日、明治27年(1894年)9月17日、黄海において清国海軍と我が聯合艦隊が激突した。黄海海戦である。(日露戦争時の「黄海海戦(明治37年8月10日)」とは別)
 清国海軍は30.5サンチ連装砲2基4門を装備する大型艦、「定遠」(旗艦)「鎮遠」を中心に巡洋艦10隻と水雷艇を擁する陣容。一方日本側は巡洋艦8隻にコルベット2隻と砲艦。旗艦「松島」以下、「厳島」「橋立」の「三景艦」は32サンチ砲1門を装備するが、それ以外の艦は15.2サンチ(6インチ)砲が主体。
 清国側は「リッサ海戦」(1866年7月20日、墺帝国vs伊王国)の戦例に倣い、横一文字の横陣隊形で衝角攻撃を狙うが、日本側は機動性に優れた単縦陣で突撃。近距離からの15.2サンチ砲の速射で清国側を圧倒。清国の巡洋艦5隻を沈没または大破させ勝利した。清国戦艦「定遠」「鎮遠」は、頑丈な装甲を施されたバイタルパート(機関など艦の心臓部)こそ無傷であったものの、装甲化されていない艦上構造物は集中砲火を浴びてボロボロ。しかし、それでも沈まない。逆に、「鎮遠」の放った主砲弾が旗艦「松島」に命中し、大損害を与えた。負傷した三浦虎次郎3等水兵(後、戦死)の発した「まだ沈まずや、定遠は」は、後に「勇敢なる水兵」という有名な軍歌となった。
 戦後、日本は敵主砲弾の大威力に注目し、以後戦艦や装甲巡洋艦の整備を進めることになる。一方、他の国の海軍では、日本側の15.2サンチ(6インチ)砲の威力に注目し、一時「6インチ砲万能論」が席巻する。ロシア海軍でも、その影響はあったようである。10年後の日露戦争で、日露の海軍は、所も同じ黄海で激突する。

「将軍は、昨日の戦争に習い、明日の戦争に備える」

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