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今日は「大塩平八郎の乱」があった日(西暦1837年3月25日)

 日本の旧暦では天保八年二月十九日に当たるこの日、大坂町奉行所の元与力で陽明学者でもあった大塩平八郎が、「救民」の旗を掲げて決起した。日本史の授業で必ず習う「大塩平八郎の乱」(大塩の乱とも)である。
 史上余りにも有名なので、わざわざ説明する必要もないと思うが、一応簡単におさらいすると、乱の発端は前年の天保の大飢饉にあるという。民は困窮し、百姓一揆が頻発しているのに、一部の豪商が米を買い占め、幕閣の一部とも癒着して私腹を肥やす有様に、大塩は怒りを覚えた。で、現状打破を図って私財をなげうって武器を準備し、門弟たちを武装して「一揆鎮圧の準備」と称して軍事訓練を行い、大坂周辺の百姓にも檄を飛ばすなど準備をすすめた。しかし内通者が出たため準備不足のまま決起。「私腹を肥やす豪商たちに天誅を加えん」と、船場あたりで商家を焼き討ちしたりしたものの、わずか半日足らずで鎮圧されてしまった。戦闘の結果、大阪市中の五分の一が焼失(大塩焼け)し、町民・百姓にも死傷者多数となった。いくら「救民」といっても結果がこれじゃあね。大塩はしばらく潜伏していたものの討手が迫り、最後は自爆して果てたという。
 ともあれ、町奉行所の元与力が起こした乱であり、鎮圧に旗本が出動するのは「島原の乱」(寛永十四、五年。西暦1637~8年)以来、実に200年ぶり(江戸時代がどれほど平和だったか)ということで、社会に与えた影響は大きい。大塩に呼応する形で「生田万の乱」(←これも日本史で習う)がおこるなど、江戸幕府の統治能力が揺らぎ、やがて幕末へ向かう転換点であったといえる。

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