「慟哭。」昭和二十年四月七日
71年前の今日、沖縄救援のため出撃した戦艦大和を中核とする第一遊撃隊(指揮官:伊藤整一海軍中将)が、九州坊の岬沖で米海軍の艦上機300機以上に攻撃され、大和以下軽巡1隻と駆逐艦4隻を失った。(坊の岬沖海戦)
大本営は、3月20日に沖縄方面に来寇する連合軍を撃滅すべく「天一号作戦」を発令。これを受け、聯合艦隊司令部は3月26日に作戦を隷下部隊に下達、九州鹿屋に展開する第五航空艦隊(陸上航空部隊。指揮官:宇垣纏海軍中将)からは、多数の特攻隊が出撃。一方、徳山沖(山口県)に集結していた第二艦隊から、第一遊撃隊が4月6日に抜錨、一路沖縄へ向け出撃した。出撃したのは、戦艦大和(旗艦)、軽巡洋艦矢矧、駆逐艦冬月、凉月、磯風、浜風、雪風、朝霜、初霜、霞の10隻。
翌7日の12:32ごろから、米艦上機による攻撃隊第1波による空襲が開始され、第2、第3波と続いた。空襲開始からわずか2時間、14:23ごろ大和轟沈!他に軽巡矢矧、駆逐艦磯風・浜風・朝霜・霞も失われた。戦死者は合計3700名という。合掌。
(昨日、海上自衛隊鹿屋航空基地から離陸後消息を絶った空自U-125機(043号機らしい)は、今朝から再開された捜索の結果、機体の破片と乗組員6名中4名が心肺停止状態で発見されるという、残念な報告がなされた。残る2名はまだ不明。悲しいことです)
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