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「ミッドウェー海戦」(昭和十七年六月五日)から74年。

 ニュースによれば、関東甲信越は梅雨入りした模様。平年(6月8日)より3日早く、昨年(6月3日)より2日遅いという。うっとうしいシーズンの到来だ。

 さて、今日は大東亜戦争の分水嶺となった「ミッドウェー海戦」があった日である。ミッドウェー島占領を目指す帝国海軍の空母4隻(赤城加賀飛龍蒼龍)と米国海軍空母3隻(ヨークタウンエンタープライズホーネット)が激突し、日本は虎の子空母4隻と重巡1隻(三隈)及び多数の航空機(289機)を失い作戦は失敗した。日本の完敗である。
 一方、米国海軍は航空攻撃で損傷し避退中の空母ヨークタウンと随伴する駆逐艦1隻(ハムマン)を、伊号第百六十八潜水艦(潜水艦長:田辺弥八中佐)の雷撃で失った。
 敗戦の理由に関しては既に論議は尽くされたかと思われる。また、「こうすれば勝てた」という意見も多数存在する。私も素人考えだが「アリューシャン攻略作戦(AL作戦)を中止して、作戦参加予定の空母龍驤隼鷹(指揮官:角田覚治少将)をミッドウェーに投入するべきだった」と思っている。戦力は分散せず、集中するべき。その上で、まず空母6隻全力でミッドウェーの陸上航空戦力を殲滅する。その後、角田部隊は上陸戦闘の邪魔になる陸上施設をしらみつぶしに攻撃。南雲部隊は敵空母出現に備えさせるべきだったと愚考する。ま、結局後出しじゃんけんにしかならないのだが。
 敗戦それ自体は覆せないにしても、せめて事後処理をもっと厳しく行うべきだった。GF長官の「職を賭して」作戦をゴリ押しした山本五十六大将は、当然罷免するべきだった。人事を完全に一新して仕切り直しを図れば、その後の戦局はまだ好転させる可能性もあったと思う。信賞必罰を欠いてはならんだろう。

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