« その人の名も知らず | トップページ | 夏の名残の風邪 »

今日は何の日?「降伏文章に調印」(昭和20年9月2日)

 なんとなく昭和20年8月15日が敗戦の日のように思われているが、正式に降伏文章に調印したのは昭和20年の今日である。場所は横須賀沖の戦艦ミズーリ号艦上。ミズーリ号の名前の由来はミズーリ州。日本の戦艦が「大和」「武蔵」「長門」など旧国名を用いたのに対し、米国は州名をつけるのが伝統。ちなみにミズーリ州はトルーマン大統領の故郷。もちろん、偶然ではない。
 日本は政府を代表して、外相・重光葵、軍を代表して陸軍参謀総長の梅津美治郎大将が出席し、降伏文章に調印した。
 ここで勘違いしてもらいたくないのは、日本は陸海軍が無条件降伏し、武装解除に応じたのであって、日本国そのものが無条件降伏したわけではないということである。つまり、軍が無条件降伏することを「条件」に、日本は「条件付き降伏」したのである。
 しかし、政府代表で重光外相がサインしているため、外形上は日本国政府が無条件降伏したように見えなくもない。これは日本の無条件降伏に拘った、故F・D・ルーズベルト大統領への「配慮」なのである。ルーズベルトの急死後、副大統領から昇格したトルーマンにとって、条件付き降伏でさっさと対日戦を終わらせる方が、現実的であったのだ。しかし、ことあるごとに日本を無条件降伏させると公言していたルーズベルトの顔を潰さないためには、こういう小細工も必要だったのだろう。
 日本側は梅津大将が単身フィリピンに飛んで、連合国側と軍としての降伏調印をすればよかった。しかし、梅津大将の胸中も複雑であったろう。降伏自体屈辱の極み、断腸の思いだが、元々海軍が始めた対米戦の降伏調印を、なぜ陸軍参謀長である自分がやらねばならないのか?米内海軍大将の方が適任じゃないか。普段「海主陸従」とか言ってたくせに、こんな時だけ陸軍に泥をかぶせやがって!と、怒り心頭だったかもしれない。
 ともあれ、現実の戦闘はこれで正式に終了したのだが、実際はこれからが連合軍(実体は米国だが)の真の対日戦勝利への情報戦の始まりであった。以後、日本を永遠に敗戦国にし、二度と米国に刃向かわないようにするために、戦犯裁判や偽憲法押し付けが行われることになる。この「占領期」こそが、極めて重要なのである。

Senkanmissourichouinshiki
(降伏調印の様子。サインをしてるのが梅津大将、シャッポにステッキ姿が重光外相と思われる。画像は戦艦ミズーリ記念館公式サイト(こちら)より、転載させていただきました)

|

« その人の名も知らず | トップページ | 夏の名残の風邪 »

日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事