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今日は何の日?「ザマの戦い」(紀元前202年10月19日)

 今朝、大阪で死傷事件の報が入ってきてびっくりした。まだ詳細は不明だが、先日浦安で通り魔事件があったばかり。凶悪事件の認知件数は、近年減少傾向にあるとはいえ、こんな突発的な凶事の発生には、恐怖を感じざるを得ない。

 さて、今日は「ザマの戦い」があった日。北アフリカのザマの地で、ローマ軍とカルタゴ軍が激突した。第二次ポエニ戦役(紀元前219年~201年)の掉尾を飾る戦いである。
 ローマ軍の指揮官はスキピオ(大アフリカヌス)、カルタゴの指揮官はハンニバル・バルカ。ハンニバルはスペインにあった根拠地(当時、カルタゴの植民地)からアルプス越えでイタリア半島に侵入し、ローマ軍を散々に破った名将。ローマにとっては100万の軍勢より恐ろしい、歩く災厄とでも言うべき男。特に、ローマ軍・同盟都市軍7万人を両翼包囲で殲滅した「カンナエの戦い」(紀元前216年8月二日)は有名。
 しかし、ハンニバルのあるところでは無敵のカルタゴ軍も、ハンニバルが不在の戦場では振るわず、陸戦でも海戦でも苦戦し、ついにローマ軍団の北アフリカ上陸を許してしまう。本国の危機に召喚されたハンニバルが、決戦の地としたのがザマであった。
 ハンニバルの戦術の特徴は、ローマ軍より劣勢の歩兵部隊を巧みに進退させ、敵の鋭鋒を受け止めて時間を稼ぎ、その間に有力な騎兵部隊が両翼から敵騎兵を粉砕し、そのまま敵中央の歩兵部隊の背後に回り包囲殲滅する両翼包囲戦術である。それを支えたのが、カルタゴの後背地であるヌミディアの騎兵であった。
 一方、ローマ軍は数で勝る分厚い重装歩兵で中央突破を図るが、ことごとくハンニバルに翻弄されてしまった。しかし、状況は変化する。ヌミディアでお家騒動が起こり、新王マッシニサはローマ軍についてしまったのだ!当時地中海世界で最強だった剽悍なヌミディア騎兵が敵についたことで、ハンニバルは従来の必勝パターンはとれなくなった。騎兵には不足したが、カルタゴ市民兵が多数参加したことで、歩兵戦力では初めてローマ軍を上回ることになった。ハンニバルは歩兵を三段構えの横隊に布陣。前衛に軽装歩兵と戦象部隊を配し、ローマ軍の中央突破を図った。一方スキピオは、有力な騎兵を得たことで両翼包囲を試みた。「カンナエの仇をザマでとる」作戦で、実際の戦闘も攻守所を変えてローマ軍の勝利となった。
 ザマでの敗戦により、カルタゴはローマに和を乞い、屈辱的な講和条件を飲んで第二次ポエニ戦役は終結した。海外領土を全て失い、軍備も交戦権も制限されながらも、カルタゴはその後得意の貿易で国力を回復する。しかし、結局第三次ポエニ戦役(紀元前149年~146年)に敗れ、滅亡するのであった。

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