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FP継続教育テスト

 ファイナンシャルプランナーの資格は、それをとったらお仕舞ではない。常に最新の情報に触れ、知識の向上を図る必要がある。特に、CFP認定者およびAFP認定者には、一定期間内に資格更新のための継続教育単位をとる必要がある(2年間で、CFP認定者は30単位、AFP認定者は15単位)。

 チャイニーズウィルス(武漢肺炎ウィルス)の影響で仕事が減り、すっかり暇になってしまったので、土日を利用して暫く放っておいた継続教育テストをやってみた。テストと言っても、日本FP協会のFP誌上講座から出題される問題をweb上で回答するだけなのだが、テキストの読み込みに結構時間を食った。問題自体は簡単で、取りあえず資格更新に必要な単位を確保できた。久しぶりに頭を使ったわい。

 

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閑話休題

 本能寺の変の後、一旦居城の近江坂本城に戻った明智光秀は、その後直ちに近江・若狭を調略。北国街道を柴田勝家勢が南下するのを防ぎ、安土城や長浜城を押えて後方を固めた上で、堺周辺に集結中だった四国遠征軍神戸信孝丹羽長秀ら)を討つべく河内の洞が峠まで出陣。しかし、それまで協力的だった、大和の筒井順慶が離反。秀吉軍も接近中らしいという情報も入り、堺攻略をあきらめ下鳥羽へ帰陣した。

 光秀は西国から京に通じる西国街道が、淀川の屈曲部と北西からせりだす山塊によって隘路を形成する山崎天王山及び淀川の対岸にある男山岩清水八幡をすでに押えていた。敵の上洛を防ぐなら、天王山に指揮所を開設し、摂津側の水無瀬川を天然の堀に見立てて防御の第一線とし、川岸に沿って土塁を築き柵を連ねて防備を固めて主力を展開。その後方にも数線の予備陣地を用意して縦深陣地として隘路を完全に封鎖し、対岸の男山も固めれば、大軍といえども簡単に突破はできないはずであった。その上で、十分な予備兵力があれば丹波と河内から摂津へ進撃させ、秀吉軍を両翼からの包囲することもできたかもしれない。しかし、既に最も頼りにしていた細川藤孝・忠興父子から拒絶され、筒井順慶も動かない。単純に敵の上洛を防ぐだけでは、時間の経過と共に不利になる。そこで、防御に有利な隘路をわざと開放して敵を引き寄せ、短期決戦で戦術的勝利を収めることにした。一旦確保した戦術上の要地をわざと敵手に委ねるのは、他にも戦例がある。かのナポレオンアウステルリッツ三帝会戦でも、事前に確保したプラッツエン高地をわざと手放して、敵を誘っている。知者は同じ橋を渡るというものか。

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(勝龍寺城から出撃した明智勢御坊塚に本陣を置き、円明寺川に沿って兵力を展開。中央および左翼で隘路から出てきた秀吉勢の頭を押え、右翼が円明寺川を超越して片翼包囲を図る一方、最右翼の並河掃部松田政近隊約2000が天王山を目指した)

 実戦では、天王山の北東を流れる円明寺川の線に主力を展開。隘路から出てきた秀吉軍を迎え撃った。その上で、機を見て一旦放棄した天王山を北側(比較的なだらかである)から奪還し、そのまま南へ下って秀吉勢を分断、もしくは後方へ出て挟撃しようと図ったようである。しかし、もくろみ通りには事は進まず。温存していた総予備である最精鋭の旗本勢を投入するチャンスを失い、総崩れになった。

 そう言えば、ナポレオンもワーテルローの戦いでは予備兵力の近衛部隊の投入時期を見誤り(ネイ将軍の増援要請を拒絶)、勝機を逃してる。負ける時って、そんなものかね。

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